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農業の本質 農業は環境破壊か?

みどりの食料システム戦略の実践レポート vol.40

2025年5月 業務執行理事 南埜 幸信

有機農業の基本理念を考えてきたところで、ちょっと視点を変えて、農業の本質として、農業は環境破壊か?ということを、議論していきたいと思う。

現在私たちが農地として作物を作っているその土は、まさしく岩石の粉(粘土鉱物)を出発点として、そこに天文学的な生物が関わり、悠久の歳月を費やして自然界が育て上げてきたもの。その自然界の生物全体のレガシーである。造土の場として重要な里山では、表土1cm仕上げるのに、約100年かかるといわれている。つまり、生きている植物を育てる表土が30㎝あるとすれば、それは約3,ooo年の歳月を費やされて育て上げられてきた貴重な資産なのだ。そしてそれは、人間がその費用を負担したものではなく、本当に自然界からの恩恵として頂けているものなのだ。感謝でしかない事実だ。

しかし不思議なことにこの造土の最先端の場所である山の表土で野菜を育てようとしても、実は満足に育たない。土を創っていくところと、土にコメや野菜を育てる能力をつけていく営みは本質的に異なっているとしか説明のしようがない。つまり自然界が創ってきてくれる土を、コメや野菜などの農産物を育てる能力のある土に仕上げていくことが、農業の本質であると説明するのが最も適切であると考えるのである。表現を変えれば、農業とは野生の土を人間が自然界の本質を遵守して、野生⇒本性へと熟成進化させる営みであるといえる。こう解釈しないと、自然界に人間の存在が無くなってくるともいえる。

さらに言えば、農業とは人間が自然界の一員として、その生命の法則を遵守し、正しく働きかけることで自然界を完成させていく営みといえるのではないだろうか。

私は以前このコラムで土は生きているので、その成長を楽しんでほしいと書いた。我が子を愛で、その成長を楽しむように土の成長と成熟は自身が耕作し続けることで本当に五感で感じれるものだ。その意味で農業という規模でなくても、菜園栽培にはすべての人が取り組んでほしいと思うところだ。この土の自然界の成長と成熟を本当に身体で感じる感覚をぜひ味わっていただきたいのである。我が子のように愛でると、すくすく育ち成熟してくるその様を。

春の作付け前に耕す鍬を入れてみる。植え付け前に耕運機で畑を耕してみる。機械や道具が、年々柔らかく負荷なく素直に入っていくこと。そうすれば農作業は全然疲れなくなる。水田でしたら、足の底の暖かさ(地温)が確実に上がってくること。そして、腰が疲れなくなり、機械が素直に真っ直ぐ動くようになること。そう、土が成長すると農業が楽になっていくことに気が付く。そしてそれはオーガニックが理想の農業だと心底思える瞬間でもある。

化学肥料を使ってきた土は、冷えて固まっている。それは、多くの畑や田んぼをオーガニックにしてきた経験から間違いない事実である。冷えて固まった土は、植物の根の伸長もその活動も阻害する。そして、排水の悪い農地にしてしまう。これは、人間に例えれば腎臓機能が低下し、新陳代謝機能が低下すること。つまり免疫活性や生命活性を失わせることと同じである。オーガニックの土づくりは、まずこの冷えて硬くなった土を、本来の生命の成長軌道に乗せる作業なのだ。その意味で、オーガニックの土づくりは、人間でいえば体質転換の第一歩である「デトックス」から始まる。つまり過去の農業で使用してきた生命活動にとっての異物や、活動を阻害しているもの。元々自然界になかったのに、人間が間違って投入してきた反自然的な物質の除去清浄化こそ、入り口の取り組みである。

もっと具体的に言うと、化学肥料や農薬等の残渣を取り除き、物理的な耕耘によって固まった土をほぐしながら、クリーニングクロップと言われる清浄化能力の高い植物の根を集中的に活用していくことである。オーガニックの取り組みの入り口でこれらをしっかり除いておくと、そのあとのオーガニックへの転換スピードには加速度がつく。逆にこれを残したままだと、病根を残したまま生命活動の活性化に取り組むというちぐはぐな取り組みになってしまう。過去にオーガニックに取り組んだ生産者が必ずぶつかった壁、「三年目の減収」にあってしまうのである。このことに気が付き始めてから、また、このデトックス技術が普及してから、この三年目の減収にあう生産者がかなり減ってきていることは、この証明となっていると思う。

次号に続く

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